完璧すぎるふたり

結婚記念日の夜、珍しく夫がレストランを予約してくれた。

その店は、数年前のあの場所だった。

あれ以来、来たことはない。

「少し遅れる」

夫から、その連絡が入ったときにはすでに席に座っていた。

時間に余裕が出来た。

すると、急にお化粧崩れが気になった。

お手洗いに席を立った。

 

「予約していた〇〇です。」

聞き覚えのある声がした。

あれから何年たったのか分からない。

そんなはずがない。

でも、振り返らずにはいられなかった。

 

彼だ。

 

目が合う前に、逸らそうと思った。

でも、あの頃のままの彼の姿から目をそらすことはできなかった。

私たちは、目が合ったまま微笑んだ。

彼の隣には、きれいな女性。

とてもお似合いだった。

 

席に戻り、夫を待つ。

彼の席が見えないことが救いだった。

 

「元気にしてた?」

彼からの、数年ぶりの通知。

「うん。そっちは?」

送信しようとしたときに、

「遅れてごめんね」

夫が来て、そのまま画面を伏せた。

「大丈夫。」

自分に言い聞かせるように出た言葉だった。

「ここに向かおうとしたらさ、突然…」

夫は、遅れた理由を話し続けた。

でもそれは、遠くで誰かが話していることのように耳に入らず抜けていった。

テーブルに伏せたスマホの熱だけが、色をもっていた。

 

「ここ、初めてきたけど雰囲気いいところでよかった。」

夫がそう言い「そうね。」と答えた。

その無邪気さが、少しの罪悪感と愛おしさを感じさせた。

「ごめん、一件だけ返信してもいい?」

そう言ってスマホに手をかざす。

「大丈夫だよ。気にしないで」

優しく微笑む夫と、これからも向き合っていけたらと思った。

 

最後の日、彼に届かなかった言葉を送信した。

「うん。ありがとう。」

今日のやり取りを成立させてはいけない気がした。

送信した画面を閉じて、カバンに押し込んだ。

それだけで、胸の奥がすっと静かになった。

 

指先に残ったわずかな熱だけが、

彼と過ごした時間が確かにあったことを感じさせた。

大丈夫。

この熱が消えるまでのこと。

 

彼は相変わらず、シャツにシワひとつなく背筋を伸ばして微笑んでいた。

それだけで十分だった。

 

「大丈夫?」

心配そうにのぞき込む夫に

「うん。ありがとう。」と返して、

私たちは、そのまま食事を続けた。

 

そして、食事を最後まで味わった。

 

グラスの中で光がゆっくり揺れている。

さっきまでの胸の奥の引っ掛かりも、

同じように揺れて、そのうち静かにほどけていく。

 

夫の話に相槌をしながら、

今ここにある幸せをかみしめていた。

 

\こちらの記事の続きです。/

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この記事を書いた人

出来事と思考の断片を言葉にしている。
実体験をもとにした物語を連載中。

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