笑いのツボ

「あなたの笑いのツボが分からない」

そういわれることがこれまでの人生多かった。

テレビを見ていても、会話をしていても、人が笑って盛り上がっているところでは笑わず、静まり返った空気で笑うことが多かった。

笑いの理由は「面白いから」だったけど、その面白い理由は説明できなかったから、そのままにした。

あまり気にしないことにしていたが、少し寂しくもあった。

 

最近、その理由が分かった。

私は面白い言動や変な人、分かりやすいオチや言葉よりも、

その場に流れる空気感、一瞬生まれた小さな違和感に笑うタイプだった。

そしてそれを同時に感じることができる相手がいるときに限って笑いを共有できた。

 

理由が分かった私は、また私を好きになった。

私はこれまで、笑いのツボが合う人と会話なしに目があった瞬間

「だよね」

と目配せだけで笑い合える相手を求めていたような気がする。

私の笑いに、説明は必要がなかった。

むしろ、説明するほど笑いとは遠くなった。

目次

カップラーメンのスープ

友人宅で「小腹がすいた」というと、友人がストックしていたカップラーメンを差し出してくれた。

私はフィルムを剥がし、ふたをあけ、スープの袋の端を持った。

いつものようにパタパタと振って、スープを片方に寄せて開けようとした。

 

スープの袋を振った瞬間、いつもよりも激しく動く袋とその音に、

「しまった!」

とやりすぎ感で恥ずかしくなった。

「そんなに激しくするつもりはなかったの」

と言い訳をしたくなった。

 

その瞬間、ひとりの友人と目が合った。

私たちは爆笑に包まれた。

 

「えっ!?」

「えへへ」

驚きと恥ずかしさを、目だけで完結させた瞬間だった。

 

その場にいたもう一人の友人は、

静かだったはずの部屋で何が起きたのか分からないまま

「え?何が?」

と不思議な顔をした。

 

説明しないまま笑う二人をみた友人は

「二人相性良すぎ」

と笑った。

 

言葉を発しない空間で、それぞれの笑いが成立した瞬間にまた笑みがこぼれた。

カップラーメンのスープ事件から見えたこと

私たちはひとしきり笑った後、友人へのフォローも説明もしなかった。

言葉の説明で伝わる笑いではなかったことを知っていた。

言葉にした瞬間、「そんなこともあるよね」になる。

結局のところ、「何がそんなに面白いの?」と疑問を残すことになる。

そして、自分たちでさえ分からなくなる。

これはそんな類の「その瞬間だけ」の笑いだった。

 

もう一人の友人は、その場所から少し遠い場所にいた。

近くにいたとして、その笑いがツボになるとは限らなかった。

そのことを、なんとなくその友人は気が付いていたのだと思う。

 

だからこそ私たちの関係は、それで成立していた。

 

その場の空気感の笑いを共有できる相手。

その1秒にも満たない瞬間に起きた、爆笑。

その瞬間を誰かと見つけるために、今日も生きる。

同じことを同じタイミングで感じられたとき、

言葉をこえて分かり合えた気がするから。

 

この瞬間が、私に生きることの楽しさを教えてくれる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

出来事と思考の断片を言葉にしている。
実体験をもとにした物語を連載中。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次