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連載もの

あるところに、子どもを授かったばかりの女性がいた。
女性は、その子に「慈」と名付けて産まれてくることを心待ちにしていた。
でも、「慈」は産まれてくることが出来ずに、おなかの中で命を落とした。
「慈」は、なぜか天に帰ることができないまま、行くあてもなくしばらくの間さまよっていた。
それからしばらくたち、女性は新しい命を授かった。
無事産まれた子を「聡」と名付けた。
ちょうどそのころ、さまよっていた慈は小さな空洞を見つけてようやく「帰る場所」を見つけた。
孤独の中でようやく見つけた、居心地のいい空間。
その場所にいれば、孤独を感じることはなくなった。
「ひとり」でいることには変わりないのに。
小さく誰かの気配を感じるような気もしていた。
感じるような気がしては消えてしまうその気配が妙に安心感を与えてくれた。
不自由なことは何一つなく、その場所から出る理由などなかった。
慈はごく自然にその場におさまり、そこで生きていくことにした。
それから数十年たったある日。
慈は突然居場所を失うことになる。
何が起きているのか分からなかった。
慈がいた空間はみるみるうちに小さくなり、ついには空間自体がなくなった。
「この場所を失ってたまるか」
その思いで、とどまるために手足を張って抵抗した。
それ以外に抵抗のしようもなかった。
そしてその努力むなしく、ついにはそのまま押し出されてしまった。
絶望の中、押し出された外の世界でふと顔をあげ、飛び込んできた風景に驚いた。
それまで見たことのない、ありえないはずの美しい風景。
自分が閉じこもっている間に、世界はこんなに変わってしまっていたのだろうか。
そこにあるのは、1本の大きな木。
なんと、天から地に向かって伸びている。
とても晴れた空に、堂々と存在感を見せつけていた。
天と地がひっくり返りでもしたのだろうか。
その幹の根は驚くほど深く根付いていて、さかさまに生えているのに抜ける様子など感じさせない。
天から地に伸びるその木に圧倒されて、身動きが取れないまま視線を外せずに眺めていると誰かが現れた。
「この木の主」と名乗るその人物。
「聡」だった。
その幹に枝葉はまだない。
「できれば枝葉をつける手伝いをしてほしい」と微笑みながら聡は慈に言った。
この木は、聡が育てて守ってきたのだろう。
何がどうなって、何が目的でこうなったのか聞きたかった。
でも、「手伝い」をすることで分かるかもしれないと思った。
慈は、包み込むような微笑みをした聡の提案に、何も聞かないまま、のることにした。
それと同時に、慈はそれまでどこにいたのかを察した。
そして、彷徨い続けた理由や居心地が良かった理由も。
すべてがつながった。
目の前の、1本の木のようにまっすぐと。
「ようやくこの日が来た」と慈に向かって聡はまた、微笑んだ。
今度は喜びに似た微笑みだった。
自分の使命を受け取った慈は、天に根ざすその光景を見て自分の姓を迷わずつけた。
「天根」。
慈は「天根 慈」と名乗り、世界を駆け巡り始めた。
その大きな一歩は、何かを探すための「彷徨い」とは程遠いもの。
自分も誰かにとっての居場所になれるかもしれない、という希望。
その希望を絶やさずに持てるのは、「聡」と本来ならありえない「天から延びる1本の木」という居場所が出来たから。
いつでも慈はそこに帰ることができる。
その強さをもって、慈は今日も走る。
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