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連載もの

毎朝起きたら、一杯のドリップコーヒーを淹れる。
アイロンをかけて、しわひとつないワイシャツに袖を通す。
誰もが知る有名企業の管理職。
毎日忙しくしながら、仕事終わりにはたまに部下を連れて飲み会。
土日の休みにはジョギングをして体力の維持。
数年付き合った彼女に今日プロポーズをする。
婚約指輪も彼女の指のサイズにピッタリ合うものを準備した。
店の予約も済ませた。
彼女が好きだと言っていたレストラン。
窓際の席。夜景がよく見える。
食後のデザートと12本のバラ。
プロポーズのサプライズ。
毎日のルーティンに、彼女といる日常が加わる。
思い描いていた通りの人生。
彼女は、涙を流して喜んだ。
それを見て、自分も嬉しくなった。
すべては、順調で完璧。
…本当に?
何かが足りない気がする。
足りないというよりは、何かを置いてきたような。
疑ったことはなかった。
でも、今こうしてすべてが整おうとしている瞬間の違和感。
これがマリッジブルーというものなのか。
彼女に聞いてみたくなった。
でも、関係がこじれる気がして飲み込んだ。
そんな俺を見て彼女は言った。
「大丈夫?」
外にこの違和感を出しているつもりはなかった。
彼女だけがいつも気が付く。
「なぜ、君にはいつもばれてしまうんだろう。」
気が付けば声に出して、そうつぶやいていた。
彼女は何も言わず、微笑んだ。
いつもと同じ、穏やかで包み込んでくれるような優しい顔。
でも、いつもよりも少しだけ口角を無理に引き上げたようだった。
「大丈夫。」
彼女のその呟きは、彼女自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
完璧だと思い続けたこれまでの選択が、どこかで間違えていたというのだろうか。
違和感は、次第に膨らんでいった。
仕事と暮らし。
これからそこに入る彼女との関係。
彼女の言葉と違和感。
「完璧」が崩れ始める音がした。
「少し待っていてほしい。」
頭にその言葉がよぎったとき、彼女の呟きの意味が分かった。
そこまでわかってた…?
いや、そんなはずはない。俺は…。
朝起きて、一杯のドリップコーヒーを淹れる。
アイロンをかけて、しわひとつないワイシャツに袖を通す。
背筋を伸ばして出勤して、いつも通りの仕事をする。
ここに彼女はもういない。
あの日、
「少し待っていてほしい。」
と言えなかった俺と、
「大丈夫」
と呟き、お茶を飲み干して席を立った彼女。
あの日、彼女を引き留めておくだけのものを持ちあわせていなかった。
ひとつ、埋められないかけらが残った。
彼女の強さを忘れることはない。
彼女はそれを望まないかもしれない。
…それでも、忘れたくない。
後悔はある。
でも、未練はない。
だからこそ、この人生は「完璧」であり続ける。
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