出産後NICU入院を経て退院し、ようやく家族で日常を過ごすことができると安心した矢先に離婚を突き付けられる。里帰り出産から自宅へ戻るも、実家へトンボ帰り→約2カ月連絡がないまま実家で過ごし、その後引越しのため自宅で約2カ月過ごす。
別居生活が始まったが、2人で話し合った婚姻費用に不満をいだく夫に限界を感じ調停離婚に踏み切る。そして、思いつく限り、人に相談するために動き出す。
詳しくは、ぜひvol.1からご覧ください
精神科では「うつ病」と診断された。
医師からは「産後うつではなく、夫由来のうつ」だとはっきりと言われた。
精神科に行けば、話を聞いてもらえるものだと思っていたが、あっさりしたもので血液検査を行い、薬を渡されて帰宅した。
いくつか病院を変えたが、同じだったので結局は行くことをやめた。
いのちの電話や、子育て相談など無料相談に相談したこともある。
とても寄り添ってくれて、話を親身に聞いてくれている様子だった。
特に印象に残っているのは、
「旦那様は、イケメン?それならよかった。いい遺伝子をもらったと思ったら良いのよ。」
と言われたこと。
「そうですね」
と笑った。
毎回最後には「きついならここに連絡したらいいよ」と言われ相談先を転々とした。
そして、最初に電話した機関に戻ってきたとき電話をやめた。
毎回いきさつから話すことに、だんだんと面倒を感じるようになった。
友人にも複数人、連絡をした。
この頃には、それまでのいきさつや言われたことなどを流暢に話せるようになっていた。
それほど私は多くの人に話し続けた。
このことが調停で、冷静に淡々と主張だけを貫く姿勢としてプラスに働いたが、それはまたあとの話。
友人の反応はそれぞれ全く異なっていて、おもしろいなと思った。
「良くある話だ」と笑う人、
「別れたい人は、相手を傷つけようが何しようが関係なしに強行する」と経験から話す人、
「旦那さん、病んでるのでは?大丈夫?」と言われて
そういえば「産後うつになった。男でもそういうのあるらしい」と言ってたな。と思いだしたり
「こういう話はどちらの話も聞かないと分からない」と線を引く人もいた。
中でも特に救われたのは、
0歳児と私の当時の“状況”で判断してくれる友人の存在だった。
ある人は 夫が語る私像に腹を立て、
ある人は「は?」と一文字で怒りを示し、
ある人は「自分ならこの短期間ですべてを把握したうえでその行動力を発揮できない」と褒めた。
「答えはどこにもないのかもしれない」と気づき始めた私は、
裁判所から来た調停の返答用紙の文章をまとめた。
調停とは、どんな空間なのだろう。
不安と恐怖で1回目の調停まで眠れない日が続き、胃が痛まない日はなかった。


コメント