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連載もの

実家から持ってきた荷物たちは家に帰ることもできず、そのまままた実家へと向かう。
夫の両親に状況を説明するため、電話のスピーカーで話した。
義母は何も言わず、義父は
「子どものことは一旦おいておいて、自分が良いと思う決断をしなさい。」
「誰かに相談してはいけない。他人はいい加減だから、アドバイスをくれてその通りにしても責任は取らないから。」
「一旦、自分たちを見直すために離れて過ごしてみるのはとても大事なこと」
などと夫へアドバイスをした。
新生児を抱えた状態で、
子どものことは一旦おいて「自分のことを考えなさい」と言う。
そしてそれはあくまでも
「私に子どもを預け、夫だけがひとりになって考える」ことが大前提の話だった。
どうしてもそれが納得できなかったが、
「この親にしてこの子あり」と妙に納得して黙ったことを覚えている。
義両親は、あくまでも「夫婦二人だけの問題」として「自分たちを巻き込むな」という態度だった。
「私の両親を巻き込んだのは、息子さんですよ」
私の発言に彼らは、「そうなの?」ときょとんとした。
そのきょとん声は、同じムジナの家族だと確信させるには十分だった。
実家へ帰る車内では、運転中に相手を刺激してはいけないと思ったので、私から話をすることはなかった。
夫は定期的に「トイレ大丈夫?」「おなか減ってない?」と聞いてきたが、口を開けば「私が実家へ帰ったところで何も解決しない」「その後どうするつもりなのか」を口からぽろりとあふれそうで空返事だけを続けた。
この時のことを数日後、義母から「息子はとても気を遣ってあなたを労わる言葉をかけてた。あなたの顔が怖くておびえながら車を運転した、と言ってたわよ。わざわざ送らなくてもいいのにしてあげたのに。」と怒られることになるとは思いもしなかった。
そのときには完全に、私は「何をしても嫌がられる存在」として固定されていた。
数時間の沈黙をこえ、実家につきそうな頃合いに
「離婚をするなら、調停離婚しか認めない。それが嫌なら離婚はしない」と伝えた。
夫はそれに対して暗い顔でうなずき、「子どものことは草葉の陰から見守りたい」と言った。
つくづく言葉のチョイスがおかしい人だと思いながら、言葉は返さなかった。
その後、義父からは「調停なんて時間がかかるからやめろ。それにあなただって負担が大きすぎるでしょう。」と電話がかかってきたが、どの口がそれを言うかと思い「そうですか」と電話を切った。
思えば結婚から離婚まで、唯一私の意見が通ったのは「調停離婚をする」ことだけだった。
私が特に許せなかったのは、この日が5月5日だったこと。
息子の初節句の日だった。
そのことを気にも留めず、私の両親への挨拶もそこそこに、荷物だけをそそくさと実家に運んで「明日も仕事だから」と帰っていった。
実家に着いたのは、夕飯時だった。
母と一緒にスーパーへいき、こいのぼりの装飾が付いた巻きずしを買ってもらい息子に持たせて写真を撮った。
せめてこれくらいはと思い、妊娠中に私が作った袴に似せたスタイをつけた。
父は知らない間にどこかへ行ったかと思うと、100均で買ったこいのぼりをもって帰ってきた。
「さいごのひとつだった」と笑いながら、息子が寝る布団の上でニコニコとこいのぼりを振った。
久しぶりに幸せを感じ、すべてを忘れさせてくれるひとときだった。
それから約二カ月間、夫は音信不通になった。
その間も、子どもは順調に育っていた。
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