相手に対する印象を決めるとき、
その人を見ているつもりで、
実は“誰かとの比較”で判断していることはありませんか?
初対面から離婚騒動前まで私の母は、私の元夫のことを好意的に見ていました。
一方で、姉の夫には不満を口にしていました。
でも離婚騒動になったときから、その評価は一気に逆転しました。
元夫への印象は崩れ、姉の夫を大絶賛。
さらには父に対しても好意的な言葉を口にするようになりました。
元夫が起こした出来事で、本人への印象が変わることは理解できます。
でも、その変化は元夫ひとりにとどまらなかった。
元夫が起こした出来事を基準に、関係のない周囲の評価まで塗り替わっていくことに違和感が残りました。
そしてそのとき母がつぶやいた言葉が、
「私は幸せだったんだね。」
その出来事のモヤモヤが冷めないまま過ごす中で、
息子がお友達から似たようなことを言われたのです。
「嫌い」が「好き」に変わった日
息子はひとりのお友達から、しばらくの間「嫌い」「気持ち悪い」と言われていました。
幼稚園から帰ってきては、毎日その報告を受けていたある日、
その子から今度はこんなことを言われたと報告をされました。
「Aちゃんは、〇〇だから嫌いだけど、(息子)くんはそれをしないから優しくて好き」
「嫌い」から「好き」へ。
一見、よかったねで終わる話に見えます。
以前の母への違和感が残っていた私は、「よかったね」と言ってあげることができませんでした。
その評価は、本当に“息子”を見ているのか
「その日とそれまでの間、その子に対して違う言葉や違うことをした?」
そう聞きました。すると、こう返ってきました。
「昨日も今日も何も変わらない。同じことしかしていない。」
変わったのは、相手の息子に対する「見え方」。
誰かと比べることで、はじめて受けた「優しい」という言葉。
それは息子自身の評価なのでしょうか。
比較でつくられた評価は、長く続かない
人はつい、比べることで判断しがちになります。
あの人より優しい。
あの人より気が利く。
あの人より我慢強い
そのほうが、簡単だからです。
でもその評価は、とても不安定です。
比べる相手が変われば、あっさりと塗り替わる。
比べて得た評価は、比べられた瞬間に崩れる。
その評価を受ける側にとってみれば、ただ振り回されて疲れるだけなのではないでしょうか。
私は、その評価をあまり信じていない
だから私は、こう思っています。
誰かと比べることでつけられた「好き」や「すごい」は、その人自身を見ているわけではないことが多い。
もしいつもと変わらず過ごしているのに評価が変わったのなら、
それはあなたの価値が変わったのではなく、
相手の見え方が変わっただけ。
そしてそれは、また簡単に揺らぎます。
優しさは、比べて決まるものではない
息子は、“誰かより優しい”から優しいのではありません。
そのとき・その場で考えて選んだ行動が、結果として「優しさ」になっているだけです。
本来優しさは、比較の中ではなくその人の中にあるものだと思っています。
比べないと見えないものと、比べなくてもあるもの
人と人とを比べれば、
立ち位置や、得意不得意も見えてくるかもしれません。
でも、それはその人のすべてではありません。
そこを知っているか知らないかで、
人の言葉に振り回されて疲れてしまうことを防ぐことができるかもしれません。
変わっていないものは、ちゃんとそこにある
息子は、普段と何も変わらず過ごした。
でも、お友達からの評価が変わった。
変わったのは行動なのか、
それとも見え方なのか。
それを意識することで、少しだけラクになることがあります。


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