出産後NICU入院を経て退院し、ようやく家族で日常を過ごすことができると安心した矢先に離婚を突き付けられる。里帰り出産から自宅へ戻るも、実家へトンボ帰り→約2カ月連絡がないまま実家で過ごし、その後引越しのため自宅で約2カ月過ごす。
別居生活が始まったが、2人で話し合った婚姻費用に不満をいだく夫に限界を感じ調停離婚に踏み切る。そして、その書類の内容に怒りで震えがおさまらなくなり…。
詳しくは、ぜひvol.1からご覧ください
別居生活が始まってから調停が始まるまでの間は、身体的・精神的・法的・経済的に解決するために動いた。
友人や弁護士、ファイナンシャルプランナー・区役所・保健師からいのちの電話・精神科まで思いつく限り相談をした。
「子どもがあなたに似たらマジで最悪」と離婚話が初めて出たときに夫から言われていた。
そして結婚生活の中では、生き方やアイデンティティそのものを全否定されていた。
それらのことから、「私一人の価値観だけで育てても、この子の人生は大丈夫だろうか」と懸念があった。
そのため、子育てセミナーや心理学講座などには積極的に足を運んだ。
子育てセミナーも、心理学講座も興味深く楽しかった。
参加することで、今につながっている考え方は多い。
でも、私の欲しい答えが見つかることはなかった。
「パパとママが協力し合う」ことや「パパとママの役割の違い」を話す人はいたけれど、
じゃあそれらすべてを「ママひとりで担う場合」に私ができることや、
どんなスタンスでいるべきかを問えばみんな口ごもった。
「ひとり親」だと言えば気まずそうにして話を閉じようとする人や、
自分もひとり親で、しかも3人も育て上げたと言いながら、質問には答えず話題を変える人もいた。
プロでも分からないということか、と妙に納得したことを覚えている。
児童手当が夫の口座に入るのがどうしても嫌で、どうにかならないかと区役所も訪ねた。
「離婚をする証明(調停中・協議中がわかる書面)」があれば自分の口座への手続きが可能だった。
調停離婚をすること前提で別居をしたため、書類が来るまで待つことにした。
そして、離婚後に必要な手続きや、受けることができる制度が書かれた冊子を手渡された。
「使える制度は何でも使った方がいい」
とエールを添えてくれた窓口のお姉さんの頼もしい顔を思い出すと今でも目頭が熱くなる。
今思えば、このときから私の風向きは変わり始めていた気がする。
次に相談したのは弁護士。
敷居が高く、厳格というイメージだけで連絡するまでにかなりの時間を要した。
実際会ってみれば、普通の人と変わらないうえに、話が早くて驚いた。
「離婚理由」を聞かれ、
「子どもが出来たら[私の性格]が変わると思っていた。でも変わらなかったから離婚したいと、産後1か月の時に言われたことが始まりです」
と話すと、その瞬間弁護士は爆笑をした。
「弁護士でもこんなに爆笑するほど、おかしなことを言われていたのか」
「男性でさえ、理解できないことなのか」
そんなことを思いながら、笑いが止まるのを待っていると
「すみません、あまりにも幼稚ですね。」
と、話を元に戻した。
その笑いは、体感3分は続いていた。
相談後、法的に不利になりそうにないと判断をして、弁護士をつけずに戦うことにした。
この頃、保健士さんにもとてもお世話になった。
赤ちゃん訪問の時から事情を知っている保健師さんは
「何かあれば…何もなくても雑談でもいいからいつでも相談に来てくださいね。」と言ってくれていた。
ほとんどの人が社交辞令とするだろう。でも、私は頻繁に通った。
分からないことを聞けば教えてくれるし、担当部署を紹介してくれたり、調べてから連絡してくれたりもした。
子どもと2人でいて何も起きなくても、ふいに涙が出て止まらないことがよくあった。
そんな時にも、涙を流しながら「もうだめかもしれない」と子どもを抱えて駆け込んだこともある。
「こんな母親の姿を見て、子どもがどう育つのか」それが一番心配だった。
それでも自分でその涙を止めることはできなかった。
少しずつ、でも確実に心の状態は悪くなっていた。


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