離婚へのカウントダウン vol.7 ―別居生活―

これまでのあらすじ

出産後NICU入院を経て退院し、ようやく家族で日常を過ごすことができると安心した矢先に離婚を突き付けられる。里帰り出産から自宅へ戻るも、実家へトンボ帰りすることとなりそれから約2カ月夫はひとり「自分探し」を始める。

引越準備のため、自宅で最初で最後の不穏な3人家族の生活を経て別居生活スタート!

詳しくは、ぜひvol.1からご覧ください

別居が始まってからは、しばらくあわただしい日々が続いた。

引っ越し後の片付け、役所への手続き、子どもの経過観察のための通院や予防接種、弁護士相談ほか諸々をこなしながら仕事案件を探した。

お金のこともシビアに計画を立てた。

ファイナンシャルプランナーに数人相談をし、不要な保険を解約した。

子どものために必要なお金を教えてもらい、貯める計画を立てた。

仕事は主に、静かな夜中に片付けていた。

そんな中でも、「息子の腰が据わった」「つかまり立ちができるようになった」と成長を歓び、誰かに伝えたい衝動を抑えられずに両親に報告しては一緒に笑った。

始めのうちは夫にも写真を送ったり報告をしたりしていたが、大した反応は得られなかったのでやめた。

そして夫から聞いてくることはなかった。

彼のためではなく、子どもが父親の存在を感じることができる位置にいてほしいという願いからだった。

でも後から知ったのは、私がまだ彼に気持ちがあると思い、それを断ち切るために距離を取っていたということだった。

「どこまでもしょうもない人」だと思ったことを覚えている。

この頃の私は、同じくらいの子どもを男性が連れて歩いているのを見るだけでも涙がにじんでいた。


そんな生活が続いたある日、珍しく夫からLINEで連絡がきた。

「生活費を減額してもらえませんか。こちらにも生活があります。」

それだけが書かれていた。

まるで私が勝手にそうしたかのような言いがかりに、もはや笑いがこみ上げた。

「こっちもお金が足りていない」

そういった内容を、ひどく遠回しにして丁寧に返信をしてできる限り別居期間を引き延ばした。

そして別居から約6カ月後、彼は爆発した。


「引き延ばしもここまでか」

そう諦めた私は、「離婚調停を立てればいい」と伝えた。

そもそも私の許可など無視して調停を起こすことは可能だったのになぜしなかったのだろう。

そう思いながら、「婚姻費用が不服なら婚姻費用調停も離婚調停を同時に立てるといいよ。」

と、それ以外の減額は応じないことを伝えた。

その頃の私は、割と仕事が安定していた。

もらっていた婚姻費用の範囲内で生活し、仕事で得たお金は全額貯金に回した。

そのことを知らない彼からは、

「早くシングルマザーになれば、手当がかなり厚いから離婚した方がいい。最悪の場合は生活保護になればいいから。」と本気で言っていた。

さらには、「保険レディになればいい。子ども育てながらでも働きやすいし、何よりも給料が良い」と畑違いの仕事を勧めてきた。

この期に及んで自分の責任は一切ないという態度に、怒りを抑えることで精一杯だった。

この話を聞いて、どっちもどっちだという意見を言う人もいる。

そう思う人がいることも、分からなくはない。

ただ、少なくとも私は相手に対して激しい言葉を選んだことはないし、攻撃的な態度もとっていない。

「伝えていない事実」がひとつあっただけ。

そして彼は、確かめもせずに「働かずにお金だけを奪う守銭奴」の虚像を作り上げていた。

そのことだけは、ここに残しておく。


そして、数か月後に送られてきた調停書類を見て手の震えがおさまらなかった。

書類の「離婚理由」の欄には、

「性格の不一致」「相手からのモラハラ」と書かれていたのだ。

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この記事を書いた人

出来事と思考の断片を言葉にしている。
実体験をもとにした物語を連載中。

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