離婚へのカウントダウン vol.5 ―実家での生活―

これまでのあらすじ

出産後NICU入院を経て退院し、ようやく家族で日常を過ごすことができると安心した矢先に離婚を突き付けられる。話合いの末、無事自宅へ帰ったのも束の間、夫の情緒不安定に疲れて実家へ戻ることを決意。

子どもとどう生活していくか先が見えない不安を抱えながら実家での子育て生活が始まる。

詳しくは、ぜひvol.1からご覧ください

実家で子どもと生活が始まってすぐに、自宅管轄の保健師から『赤ちゃん訪問』の日程決めのための連絡の電話がきた。入院していたこともあり、家に戻ってからということで日程決めは後回しにしていたことを思い出した。

私自身も今の状況がいつまで続くのか、分からない状況だったので、それをそのまま伝えた。

保健師の方はとても丁寧に私の話を聞いてくれて、実家の管轄の保健師さんが訪問するように手配してくれた。

その時に、里帰り出産中に支払った検診料の還付申請期限やこれから始まる予防接種の書類の取り寄せなど、必要な事務処理で不明なことをすべて聞いた。

何度も電話を折り返しながら、郵送ですむものは送付してもらったりしてとてもありがたかった。

実家に訪問してくれた保健師さんも、住民票がなくても利用できるサービスなどを教えてくれたりして私の負担が少しでも軽くなる提案をしてくれた。


結婚生活では、私の生き方・言葉遣い・態度すべてを丸ごと否定され続けていたうえでの今回の出来事。

この先子どもを育てるための基礎的なものをすべて奪われていた。ご飯ものどを通らず、異常に痩せていった。

このままでは、守るものも守れなくなると思い心療内科に行くと『うつ病』と診断された。医師からは、産後うつではなく夫由来のうつという旨をはっきりと伝えられた。

そんな中、友人から連絡がきて状況を話すなかで気が付いた。

「そういえば私、里帰り出産した月からこれまで生活費ももらってない。」

実家の両親に養ってもらっている状態だった。

もちろん、赤ちゃんに必要なものはお祝い以外はすべて自分の貯金からまかなった。

夫婦の貯金はほぼなかったため、自分の独身時代の貯金を削っていた。

「子どもが産まれたのに、子どもが産まれる前よりもラクな生活になっている夫っていったい何なのだろう。」

そう思い連絡をした。

ひとりで考えたいという夫に何も言うまいと連絡が来るまで待っていたが、その長すぎる期間に両親も苛立ちをおさえられなくなっていた。

すでにそのとき、2カ月がたとうとしていた。


子どもの退院後の経過観察のための受診も控えていた。

入院していた病院に自宅近くの病院へ紹介状を書いてもらい日時も予約してもらっていたため、期限が迫っていた。

お金に関しては、それまでの児童手当だけが振り込まれ「送金した」と連絡が来た。

子どもの受診に関しては、「入院していた病院に連絡して、体調不良で実家にまだいるからやっぱりここで受診したいと言えば角が出ないよ」と言われた。

それまで何をしていたかを聞けば「自分で決断したことは、どうも後悔することはないらしい(だから離婚する)」と嬉しそうに報告された。

そして離婚理由として、付き合ってる時から始まるそれまでの私への悪口が書かれた長文がLINEで送られてきた。それは、スクロールを何度しても果てしなく続く量だった。

子どものことだけは、押し黙った。

心の底から「気持ちが悪い人」だと思ったが、それだけでは終われないところに私は立たされていた。


私は、「子どもが産まれた瞬間に自分探しの旅に出た人」というレッテルを貼って夫のことを見るようになっていた。

その間に私が彼のわがままによって、本来ならしなくてもいい役所とのやり取りや、事務処理を行いながらやりくりをしながら生きていた。

でも彼は、今もこの先もそれを知る由はない。

たまに「彼が180度変わって謝ってきたらどうするか」と友人から聞かれるが、私は彼がこの時期の私がしてきたことに気がつくとは思わない。

だから、180度変わっても「よかったね、頑張ってね。」それ以上でもそれ以下でもないと答える。

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この記事を書いた人

出来事と思考の断片を言葉にしている。
実体験をもとにした物語を連載中。

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