離婚へのカウントダウン vol.4 ―5月5日―

これまでのあらすじ

出産後NICU入院を経て退院し、ようやく家族で日常を過ごすことができると安心した矢先に離婚を突き付けられる。話合いの末、無事自宅へ帰ったのも束の間、夫が情緒不安定になり短時間で真逆のことを言い始める。

子どもとどう生活していくか先が見えない不安を抱えたまま、疲れた私は実家へ避難することを決意する。

詳しくは、ぜひvol.1からご覧ください

実家から持ってきた荷物たちは家に帰ることもできず、そのまままた実家へと向かう。

夫の両親に状況を説明するため、電話のスピーカーで話した。

義母は何も言わず、義父は「子どものことは一旦おいておいて、自分が良いと思う決断をしなさい。」「誰かに相談してはいけない。他人はいい加減だから、アドバイスをくれてその通りにしても責任は取らないから。」「一旦、自分たちを見直すために離れて過ごしてみるのはとても大事なこと」と夫へアドバイスをした。

新生児を抱えた状態で、子どものことは一旦おいて「自分のことを考えなさい」と言う。そしてそれはあくまでも「私が子どもと過ごし、夫がひとりになって考える」ことが当たり前の前提で話を進めていた。

どうしてもそれが納得できなかったが、「この親にしてこの子あり」と妙に納得して黙ったことを覚えている。

義両親は、あくまでも「夫婦二人だけの問題」として「自分たちを巻き込むな」という態度だった。

「私の両親を巻き込んだのは、息子さんですよ」

そう言うと「そうなの?」ときょとんとされ、同じムジナの家族だと確信した。


運転中に刺激してはいけないと思ったので、実家へ帰る途中の車内で私から話をすることはなかった。

夫は定期的に「トイレ大丈夫?」「おなか減ってない?」と聞いてきたが、口を開けば「私が実家へ帰ったところで何も解決しない」「その後どうするつもりなのか」を口からぽろりとあふれそうで空返事だけを続けた。

この時のことを数日後、義母から「息子はとても気を遣ってあなたを労わる言葉をかけてた。あなたの顔が怖くておびえながら車を運転した、と言ってたわよ。わざわざ送らなくてもいいのにしてあげたのに。」と怒られることになるとは思いもしなかった。

数時間の沈黙をこえ、実家につきそうな頃合いに

「離婚をするなら、調停離婚しか認めない。それが嫌なら離婚はしない」と伝えた。

夫はそれに対して暗い顔でうなずき、「子どものことは草葉の陰から見守りたい」と言った。

つくづく言葉のチョイスがおかしい人だと思いながら、言葉は返さなかった。

その後、義父からは「調停なんて時間がかかるからやめろ。それにあなただって負担が大きすぎるでしょう。」と電話がかかってきたが、どの口がそれを言うかと思い「そうですか」と電話を切った。

思えば結婚から離婚まで、唯一私の意見が通ったのは「調停離婚をする」ことだけだった。


私が特に許せなかったのは、この日が5月5日だったこと。

息子の初節句の日だった。

そのことを気にも留めず、私の両親への挨拶もそこそこに、荷物だけをそそくさと実家に運んで「明日も仕事だから」と帰っていった。


実家に着いたのは、夕飯時だった。

母と一緒にスーパーへいき、こいのぼりの装飾が付いた巻きずしを買ってもらい息子に持たせて写真を撮った。

せめてこれくらいはと思い、妊娠中に私が作った袴に似せたスタイをつけて。

父は知らない間にどこかへ行ったかと思うと、100均で買ったこいのぼりをもって帰ってきた。

「さいごのひとつだった」と笑いながら、息子が寝る布団の上でニコニコとこいのぼりを振った。

久しぶりに幸せを感じ、すべてを忘れさせてくれるひとときだった。


それから約二カ月もの間、夫は音信不通になった。

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この記事を書いた人

出来事と思考の断片を言葉にしている。
実体験をもとにした物語を連載中。

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