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連載もの

思えば最初から最後まで私の意見が通ることがなかった。
それが当たり前の結婚生活だった。
入籍後、住んだ場所は縁もゆかりも知人もない地域。
地元から数百キロ離れたその場所を、相手は「地元の空気に似ている」と気に入り、私に相談もなく転勤先に選んだ。
転勤先の候補が他にもいくつかあったことを、結婚生活が1年を過ぎたころに知った。
社宅の1階に住んでいたが、真冬の雪が降り積もる日でもダンゴムシに似た虫が玄関にはうろついていた。
雨上がりには玄関を開ければ水たまりができ、そこにハエが大量にたかった。
虫嫌いの私は、殺虫スプレーを振りまき、ハエ取り線香をたいた。
殺虫スプレーやハエ取線香は私の方がいぶされた。
夫はそんな私を見てあきれていた。
行きたい場所へ行こうとすると、気が付けば相手もついてきた。
私たちの好みが違うことはお互い分かっていた。
「私のためだけに用意したルートをこの人は楽しめているのだろうか。」
その想いが常にあった。
「行きたい場所・やりたいことがあれば言って欲しい」
そう言ったこともある。
彼は何も語らなかった。
その気持ちに触れることができたのは、離婚騒動時。
「俺は、お前が行きたがっている場所へもついていってあげた。
機嫌が良くなるのはアイスを買ってあげたときだけ。
食べ終わればすぐ不機嫌になるから面倒くさい」
すべては相手のタイミングと気持ち次第。
そんな結婚生活だった。
唯一、結婚式はやりたい場所でやらせてくれた。
とはいえ、ふたりで式場を回って相手も納得する中での私の選択。
相手の負担がないように、準備はほとんどがひとりだった。
招待状の宛名をまとめて全員分書いても、
「○○さんの字が間違ってたと言われた。次なんかするときは気を付けてね」
感謝の言葉をかけられたことはない。
それもまた、離婚騒動時に言及された。
「結婚式はまだだと思っていた。そんなことよりも仕事がしたかった。」
新婚生活は、相手が愛する田舎。
田舎暮らしが初めてで不安だらけの私の横で、彼はウキウキしていた。
スーパーは徒歩圏内にない。
免許は当時、ペーパーゴールドだった。
運転する予定もないのに、なんとなく免許だけは取っておいてよかったと思った。
YouTubeでバックのコツや駐車の仕方を見てイメトレ後、買い物に出かけた。
近所には、養鶏所があり夕方には風向きによってその匂いが漂った。
建物は古く、1カ月に1回のペースで停電になった。
ひどいときは一晩中電気が復活しなったので、食料の買いだめはあまりできなかった。
極めつけが、上に住む方の騒音。
朝の7時から、23時の寝る前までその音は続いた。
私にとって、なにひとつとして癒しのない生活。
つまらない顔をする私に、もっと寄り添って欲しかった。
「言い方がきつい」「態度が悪い」
夫は私にいつもその言葉を向けた。
そしてそれをどんなに改めても変わることのない言葉。
その状況を変えるために、どうでもいいことを延々と夫に語り掛け続けた。
夫との沈黙の空間が耐えられなかった。
それが更に状況を悪くすることを知りながらも、
何も語らないのに一緒にいたがる夫との関わり方が分からくて、ある種のパニック状態だったのかもしれない。
私の限界はいつから超えていたのだろうか。
別れは相手からだった。
今思えばそれは、私にとって人生最大の幸運だった。
別れを告げられた瞬間、そこに感情はなかった。
ただ「生後1カ月の子ども」を育てるには 今 ひとりになるのは厳しい。
そんな現実だけを見つめていた。
冷静に淡々と相手を詰めた。
当たり前に相手はそれを「攻撃」と受取り、関係は悪化した。
相手の気持ちも、自分の気持ちさえもどうでもよかった。
あの結婚生活を振り返れば、二度と戻りたくないと思う。
でもその生活があったからこそ、今とても些細な場面で幸せを感じることができる。
今の生活は、周りに「好き」が増えた。
そこで自由に生きる私の隣で育つ子ども。
その姿に、
「ここまで来ることができた」
と涙があふれそうになる日がある。
最悪の結婚。
その経験がなければ
今の幸せは半減したかもしれない。
同じ状況でも、感じ方は違う。
私は、その結婚生活を自分の人生の一部として、受け入れることにした。
そこから始まった。
だから、相手を恨まなくなった。
不思議と、感謝の気持ちさえ湧くときがある。
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